もちつきと三現主義
幼稚園の恒例行事、餅つきのお手伝いに行ってきました。
息子の幼稚園での振る舞い。
先生たちの雰囲気。
他のお父さん、お母さんたちの雰囲気。
幼稚園の雰囲気。
子どもたちのパワーバランス。
現場に行くと、いろいろな気づきがありますね。学びが多い。
そして、そこで起きたこと、知ったこと、感じたことを、 家に帰って妻や子供とも共有するので、 家での会話も自然と増える。
「あれも話したい」「これも伝えたい」と言う感じで、 どんどん話が広がっていくのがまた楽しいんですね。
平日は仕事、休日は子育て( 子どもたちと公園に行くのがほとんど)だけだと、
もちろん日々楽しいんですけど、充実感も得られるんですけど、 今日みたいに、
3つ目のネタがあると、楽しいものです。
三現主義、という言葉があります。
机上の空論ではなく、実際に“現場”で“現物”を観察し、“ 現実”を認識した上で問題解決を図るという考え方のこと。 三現主義とは、“現場”“現物”“現実”の3つの“現” を重視し、机上ではなく、実際に現場で現物を観察して、 現実を認識した上で、 問題の解決を図らなければならないという考え方のこと。 (三現主義 | 用語解説 | 野村総合研究所(NRI))
別に解決する問題は今日の場合はないのですが、
それでも現場に行って、現物を観察して、現実を認識する、
というのは、 妻から聞く話だけでは得られない学びがとても多くて、 たいへん良い一日となりました。
惰性にならないように、無理はしないように、
でも新しいことにも挑戦していく思いは、これからも持ち続けたいですね。
おしまい。
本屋に行きたい
あああああ
本屋に行きたい。
アテもなく本屋に行って、
あ、この本、気になるな
っていうやつ、久々感じたい。
残業が続くと、そんな余裕もなくなっちゃうものね。
明日から東京です。
久しぶりの出張。現場。
自分のやれること、誠意を持ってやりたいと思います。
さあ、明日も1日いい時間過ごせますように。
DIE WITH ZERO
先日山陰に行く旅の道中、「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」(ビル・パーキンス著)を読みました。
本書で紹介されたルールが、9つあります。
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ルール1 「今しかできないこと」に投資する
ルール2 一刻も早く経験に金を使う
ルール3 ゼロで死ぬ
ルール4 人生最後の日を意識する
ルール5 子どもには死ぬ「前」に与える
ルール6 年齢に合わせて「金、健康、時間」を最適化する
ルール7 やりたいことの「賞味期限」を意識する
ルール8 45〜60歳に資産を取り崩し始める
ルール9 大胆にリスクを取る
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さて、皆様はこのルールに共感されますか?違和感を覚えますか?それとも、こんなの当たり前だ、と思われますか?
人それぞれだと思いますが、私はこの本を読んでから、3人の顔が思い浮かんできました。それは、祖母、仕事でお世話になっているSさん、そして母です。
祖母は90歳近くなのですが、まだまだ元気。大病もせず、ひとりでのびのび暮らしています。
そんな祖母も数年前から、いや10年くらいまえ?から、「終活」に着手し、資産を徐々に子や孫、曾孫へと相続するように。身の回りのモノも余計なものは人に渡したり整理して。徐々に、確実に、自身の持つものをゼロに近づけています。
先日電話で話をしたときも、声はぴんぴんしていて、「健康第一よ。」という祖母の言葉には、本当に説得力がありました。90近くまで生きて、元気が一番よ、なんて、ほんとそのとおりですよね。ルール3、5、6、つまり、
ルール3 ゼロで死ぬ→身の回りのモノを整理(断捨離)
ルール5 子どもには死ぬ「前」に与える→資産を相続
ルール6 年齢に合わせて「金、健康、時間」を最適化する→90になった今は必要最低限の金を残して、あとは手放す。健康を一番に、こせこせしない生活。
をまさに体現しているわけですから。
いつまでも自分の頭を使って考え、自分の体を使って動き、自分の心で感じる、そんな生き様に尊敬の念を抱かずにはいられません。
そんな祖母の姿からは、まだまだ学ぶことが多いなと改めて感じました。
次に、仕事でお世話になっているSさん。会社が近いということもあり、よく飲みに連れて行ってくれていました。旅が好き、という共通点もあり、会えばいつも旅の話になります。
Sさんは若い頃にビーチリゾートや山など、アクティブな体験ができるところに積極的に行かれていたそうです。たとえばグアムやハワイ、沖縄・・・。マリンスポーツがお好きだったのかもしれません。
その後お子さんが大きくなられてからは、ヨーロッパやアメリカを中心に、大型連休には必ず、奥様といつもどこかへ行っておられました。
ロシアに行ったときにはおみやげにスタバのタンブラーを買ってきてくださり、楽しい思い出話を聞かせていただいたことが印象的です。
そのように、若い時にはビーチへ!歳を重ねてからはヨーロッパ!みたいな考え方は、とても的を得たものだな、と感じました。つまり、
ルール7 やりたいことの「賞味期限」を意識する
のお考えだったのだな、と思うのです。
ルール6でも書かれていたのですが、「健康は金より重い」のです。
体力は年々衰えていき、健康上の問題は年齢が上がるにつれて大きな制約になり、高齢者では最大の制約になるといっても言い過ぎではないのではないでしょうか。
いくつになっても若い頃と同じようなことができる!と、今は思っていても、実際には体力気力ともにずっと一定ということはありえない。つまり、やりたいことには「賞味期限」があるわけですね。
60、70歳と歳を重ねてからでも、ビーチに行って、ビキニを着て、パシャパシャ水遊びをすることはできると思いますが、その時の自分が本当にそんなことをしたいと思うのかどうか?はその時になってみないとわかりません。ただ、スキューバダイビングをしたい、と思ったとき、周りのダイバーたちよりだいぶ年上であることは、想像に難くありません。そして周りから、「おじいちゃん、やめといたほうが良いんじゃないのかな」なんて、言われるかもしれません。
そういうことを思うと、やりたいと思ったことには、「賞味期限」があるわけなんですね。
そしてこれは子育てにも同じ!今は一緒にお風呂に入っていられても、10年後、一緒に入っていられているかはわかりません。その可能性はとても低いと思ったほうが良いでしょう。
子どもが成長して次の段階に移るまでに、一緒に何をしたいのか?
今後1,2年のうちに子どもたちとしたいこととは?
ということを、真剣に考えるときが来ているのかもしれません。
そして最後に思い浮かんだ、母。
母は数年前に体調を崩して、苦しい期間を過ごしてきたのですが、ここ2年ほどで少しずつ上向きになってきて、よく旅行にも出かけるようになりました。
私が読書が好き、ということもあって、時々何かおすすめの本はないか?ときいてきます。
なので、次はこの本を薦めてみたい、と思いました。
きっと母は、共感してくれるだろうと思うからです。
私がこの本を読んでいちばん共有したかったこと、それは、
「人生で一番大切な仕事は『思い出づくり』」ということです。
何かを経験して、それが思い出になる。
たとえば、家族3世代で旅行に行ってきた。
その経験は、その時はもちろん楽しい時間でしょう。
ですが、その経験からは、その瞬間の喜びだけではなく、あとで思い出せる記憶が得られます。
たとえば、「あの時に一緒に見た朝日が、とてもきれいだったよね!」とか。
あるいは、「食べ過ぎて飲みすぎて、その後のごちそうが食べられなかったよね!」なんて失敗談まで。
こういった思い出は、時間が過ぎてからも語り草となって、いつでも今を盛り上げてたり楽しい気持ちにさせてくれます。
著者のビル・パーキンスさんはこれを、「思い出の配当」と呼んでいます。
株式のように、思い出や経験からも配当が得られるのですね。
だからこそ、自分が何をすれば幸せになるのか?をよく知り、そのための経験には惜しまずに金を使うことが大切だと著者は言います。また、「経験の価値を信じよ」とも訴えます。
そのために、自分には何ができるんだろうか?
行動することかな、と思います。
自分に素直に、飾らず、照れず、惑わず、行動してみる。
著者は大胆に行動するためのポイントも紹介していました。
1,人生の早い段階が良い
2,行動をとらないことへのリスクも有る
3,「リスクの大きさ」と「不安」は区別すべき
これまでの人生において、今がいちばん年長ですが、
これからの人生においては、今がいちばん若い。
だからこそ、今、やりたいこと、経験できることは貪欲に、行動に移して行きたいな、と思いました。
こうやって考えたことをアウトプットして、整理するのって、
始めるまでは腰が重いですが、やり始めると結構楽しいですね。
おしまい。
不動産投資の話
土地勘があって
利回り12%で
最初はキャッシュで買える予算感で
1Kねらいで
旧耐震基準は避けて
って、本に書いてあること読んだだけだと、
なるほど~これならできそう
って思うけど、実際自分の住んでいる場所の近く、沿線で調べてみると、いきなりヒットしないので、体験入部的に探してみるかと思っている連休最終夜。
自分の住んでいるエリアだと箸にも棒にもかからない感じで、
昔住んでいたダウンタウンなイケイケなエリアで、やっと背伸びして買えるようなレベル、わたくし。
思い出すのは、
猫がうちの庭をトイレとして無断使用してきて格闘する日々を過ごしたり
ある日の早朝、網戸になにか大きくて黒いものがついている・・・バットマン?と思ったら、黒猫だったり
小さい虫が年中出没したり
飲み屋がかなり昭和レトロでリアルせんべろのお店が並んでいたり
スーパーの前の道にも猫のうんこが我が物顔で落ちていたり
なかなかディープでおもしろい街ではありました。
みんなどうやって物件探したり買ったりしてるんだろうか?
はじめてのことはわからないことだらけ。だけど、新たな世界が広がっていくこの感じは、割と好き。
「退屈」=悪?「ムダ」=ダメ?
先日、旅に出ている道中に読んだ本があります。
それは、『モモ』(ミヒャエル・エンデ著)です。
児童文学なので、子どもも読めるような物語なのですが、
私はこの話が好きで、おとなになった今でも時々読んでいます。
そこで感じたのが、「退屈」や「ムダ」というものはとてもネガティブな文脈の中で語られることが多いが、果たして本当にネガティブなのか?ということです。
本の裏表紙に書かれてある物語のあらすじは、次のようなものでした。
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町外れの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。
町の人達はモモに話を聞いてもらうと、幸福な気持ちになるのでした。
そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります・・・。
「時間」とは何かを問う、エンデの名作。
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もう少し詳しい内容が知りたいという方は、下記もよろしければご参考にしてください。
ミヒャエル・エンデ『モモ』あらすじと魅力|時間どろぼうの世界とは? - ブックオフオンラインコラム
さて、この物語の中で、時間どろぼうに騙され自分の時間をどんどん奪われていった人間たちは、日常に「効率」を求め、「ムダ」を嫌い、せかせか、こせこせするようになります。
マイスター・ホラがモモに向かって言った言葉があります。
「人間には、時間を感じとるために心というものがある。」(p.236)
時間というのは、心で感じるものなのですね。
最近この「感じる」力が、弱くなっているのかもしれない、と思うようになりました。
なぜなら、「心で感じる時間」の逆が、「誰かに管理されている時間」だと思うからです。つまり、社会に出てから、そうやって自分の時間を「誰か」自分以外の存在に、委ねてきてしまったのではないか、と思うのです。
会社で働いていると、周りを見渡せばなんでもかんでも成長志向がつきまといます。
任される予算はどんどん大きくなり、責任は年々重くなる。
時には無理難題なことを社内外から言われ、その課題を乗り越えるために文字通り無理をすることだってゼロではありません。
その時、自分自身にウソをついてきてはいなかっただろうか?
誠実さや正直さといった、本当に大事にしたいと思っているものと引き換えに、
目の前の成果を選び取ろうとしてきてはいないだろうか?
心が死んでいってはいないだろうか?
右肩上がりの成長だけを追い求め続けたとして、その先に何があるのか?
自分はどこに向かっているのか?
成長志向は正義なのだろうか?当たり前なのだろうか?
目まぐるしく過ぎていく時間の流れに身を委ねてしまっているだけで、いいのだろうか?
そんな問いが、この本を読んで思い浮かびました。
そんなときに、ツイッターでネットフリックスが、
#退屈は犯罪です
というハッシュタグ企画を立てていました。
退屈している時間に、ネットフリックスを見ようぜ!ということなのでしょうか。
退屈を遠ざけて、観たいもの見ようぜ!と。
ネットフリックスを観る事自体の是非については、人それぞれの考えかと思いますが、
しかし果たして本当に「退屈は犯罪」なのでしょうか?
忙しい現代社会においては、とかく「退屈」や「ムダ」といったものは、悪役にされがちです。
移動中にメール1本、レポート1件、クライアントに電話、いずれも5分あればできます。
時間をムダにするな!という考えから、そうしているわけなんですね。
でもその5分、ボーっとしている中で目に止まった広告から、何か着想が生まれたりするかもしれない。
仕事中は、余計なことは話さずに眼の前の仕事に集中して取り組む。
でも、ムダとされる「雑談」からは、新たな気づきを得られ、また安心感や自己肯定感につながるのではないでしょうか。
やることがなく家でひとり退屈している。
でも退屈している時間があるからこそ、やりたいことが見つかったときの喜びが大きくなることはないでしょうか。
心に「栄養」を注ごう。
ワクワク・ドキドキすることを、しよう。
それが何だったか?子供のころを思い出そう。今の自分に向きあおう。
「生きてるなー!」という実感や感動。
「嬉しい!」と思うこと。
すごい!最高!素敵!に出会う。
そのためには、退屈する時間だって、ムダな時間だって、いると思うんですよね。
鬱々と、ムラムラと、やり場のないエネルギーを抱えていた中高生のときの、あの退屈感!
ムダに高すぎた自意識!
といったものがあったからこそ、今があるわけで。
ダラダラ、無目的に過ごすことが良いとは思いません。
ですが時には力を抜いて、あえて何もしないということを自分で選択してみるのはどうでしょうか?
と、ダラダラ家から一歩も出ずに過ごす3連休の中日に、クーラーのよく効いた部屋で、書いております。笑
成長志向ももちろん良いと思いますが、それ一択だとすこし息苦しさを私は感じてしまいます。
脱成長志向、幸福志向、正直志向、誠実志向・・・うまくハマる言葉がまだ見つからないのですが、見つけたいです。
medium 霊媒探偵城塚翡翠(相沢沙呼著)
こんばんは。パーティーハウス高野です。
台風9、10号が各地で猛威をふるっている1日ですね。
災害もあるようで、心配です。大きな被害が出ませんように。
状況が落ち着くまで、家でじっとしておきたいと思います。
さて今日は、読んで面白かったので、本をご紹介したいと思います。
「このミステリーがすごい」の1位に選ばれるなど、世間でも大変認知度が高いようです。
●あらすじ
推理作家として難事件を解決してきた香月史郎は、心に傷を負った女性、城塚翡翠と出逢う。彼女は霊媒として死者の言葉を伝えることができる。しかしそこに証拠能力はなく、香月は霊視と論理の力を組み合わせながら、事件に立ち向かう。一方、巷では連続殺人鬼が人々を脅かしていた。証拠を残さない殺人鬼を追い詰められるのは、翡翠の力のみ。だが殺人鬼の魔手は密かに彼女へと迫っていた――。
というお話。(上記リンク先から転載)
この内容だけ見ると、よくあるような、名コンビが難事件に挑む推理小説、というようにも思えるのですが、違いました。最後まで読むと、大大ドンデン返しが!
これまでの話のすべてが伏線だったと思えるほどです。
オーディオブックで聴いていたのですが、巻き戻して聞き直す、というのを繰り返すくらい。笑
FM802の浅井博章さんがラジオで紹介されていたのをきっかけに読んだ本。
その中で、「この作者である相沢さん、めちゃくちゃ頭がいい」と言っていらした(気がする)のですが、もう本当にそのとおりすぎて。
読みながらドキドキして、最後は一気読みでした。あ、オーディオブックなので一気聴きでしたね。
内容は4つの物語で構成されていますので、1日1話といったふうに、少しずつ読んでみてはいかがでしょうか?