自分のやりたいサッカーをするのがいちばん
私の悪癖なのですが、ついつい、YouTubeを目的もなくだらだら観てしまいがちです。
先日もそんなことをしていると、中田英寿(ヒデ)さんのチャンネルに出会いました。
1998年フランスワールドカップ後、イタリアに移籍し、そこからのキャリアを、各チームを訪れて振り返る、という番組でした。
中田英寿「20年目の旅」#1 | ペルージャ | Hidetoshi Nakata “20 years after” #1 | Perugia | - YouTube
ヒデさんが最初に移籍したのは、ペルージャという田舎のチーム。日本からの海外移籍は当時は珍しく、周囲からは「商業目的」のように見られることもあり、パスが回ってこない状況が最初はあったようです。そのような中、自分が点をとって結果を残すことで、試合に出続けられ、結果を出し続け、徐々に自分のチームにしていった、というエピソードを語っておられました。そしてペルージャというチームへの愛、思い入れ、感謝の気持ちも持っておられました。
その後、2年目のシーズン途中でローマに移籍をすることになるのですが、1月末に市場が閉まる直前まで、本当にギリギリまで移籍するかどうか悩んだそうです。
当時のオーナー、ガウチ会長が移籍金を釣り上げてペルージャから移籍しづらくなることになるかもしれない、という危機感。
シーズン途中で、負けが込んでいる時期に、中心である自分が出てしまって良いのか、という責任感。「裏切りでしかない」と思いながら、「辛い」移籍を決断しました。
当時のローマというチームには、絶対的エース、ローマの王子様ことフランチェスコ・トッティ選手がいました。彼がいる中で、同じポジションである自身が出場できる可能性があるのか、これも悩んだそうです。
活躍できるかわからない。それでも自分よりレベルが高い環境でチャレンジすることを選んだヒデさん。
ローマの次に移籍したパルマの地で語っていたこと。それは、
「自分にとって大事なのは、ビッグクラブに入ることでもない。優勝することでもない。自分のやりたいサッカーをすることなんだ。」
そのために、自分らしいプレー、自分がやりたいプレーをするために、環境を選んだのだそうです。
自分が出ていってしまって良いのか?裏切りではないか、という中心選手としての責任感。
自分のやりたいことは何か。原点に立ち返って決断を下したその思い。
今の自分とはまったく別次元の環境ですが、それでもこの2つ、見ていてとても心動かされる内容でした。