自分にとっての「父性」とは何か?

先日、『母にできること、父にしかできないこと』(藤原和博著)を読み、考えさせられることがありました。

 

「父性」って何?

ということを、今日は考えてみたいと思います。

 

●辞書的な意味

「父性」=父としてもつ性質。(広辞苑

 

藤原和博さんにとっての父性

「私にとっての『父性』とは、まず自分がどんな呪縛を受けてきたか、に気づいた上で、子供をそれから逃がしてやることではないかと思えたのだ。」(151ページ)

「父とは、自分たちの父親のマネをして子どもに常識を押し付ける性ではなく、子供たちとともに常識を覆していくほうの性なのではないか。」

「常識と思われているものに『なんか、変だなあ』を投げつけてしまうことによってこそ、父となりうるのではないか」(いずれも237ページ)

 

●私にとっての父性

自分にしかできないことって何なんだろう?

ざーっと思いつくまま書き出してみました。

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・自分の常識で縛りつけない

・子供の「何で?」を大切にする。一緒に考える。

・一緒に笑い、泣き、怒り、楽しむ。

・無理して大きく見せる必要はない。

・社会との関わり方を背中で(行動で)示す

・じっと見守る

・働くことの楽しさを伝える、態度で示す

・人から頼りにされることの幸せを感じる

・学ぶことの楽しさを伝える、行動で示す

・体を動かすことの楽しさを伝える

・人に与えることの喜びを、行動で示す

・親を大切にする姿勢を見せる

・言葉遣い、相手の立場に立って考える

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正直、自分じゃなきゃできないこと(妻だとできない、かつ、自分ができる)ってほとんどない…。

強いて言うなら、社会との関わり方や働くことの楽しさ、みたいなものを伝えることなのかな、と思いました。

すごい無力感。むなしい。

 

でもね。そんな自分でもやっぱり子どもたちにとって唯一の父親なわけで。少しでも良くなりたいんです。何かしら足掻き続けたいのです。

 

そんなこと考えてると。

そういえば子供って、ほんとによく見てますよね、親のこと。言葉遣いや態度、ちょっとした仕草。

足で衣裳ケースを閉めたり、ドア開けっぱなしにしたり…恥ずかしい。子供は自分の鏡だって聞きますけど、ほんとそう思います。

 

なので、子どもが見ている、子どもから見られていると言う前提に立つと、父である自分は、「行動で示す」他ないな、と気付きました。

 

自らが動いて見せる。

動くときは、「今からやろうとしていることは、子どもの前でも胸張ってできるか?」と自問する。

 

じゃあ何を見せるのか?

学ぶこと、自分の頭を使って(周りに流されずに)考えること、言葉や態度で表現すること

体を動かすことの楽しさ

人から必要とされることの喜び

親を大切にする

社会の中での立ち居振る舞い(子どもの社会といえば、今のところ幼稚園とか公園とか) 

そんなことなのかなー。

すごく初歩的というか、真新しいことは無いなー、基本的なことだなー、と、いま少し不満に思ってます。

 

でも結局は、基本的なことが本質なのかな、と。

父親始めてまだ数年の私です。今はしっかり父親としての土台を作ろうと思います。

 

家族みんな寝静まったから酒でも買ってとことん飲むかな(おいおい)