旅行会社で働くということ

最近、システムエンジニアの仕事をしている方と話す機会があり、

自己紹介がてら、自身が運営に携わった国際会議で経験したことをお話しました。

 

それは次のようなものです。

 

1.概要

海外からの参加者400名を夜、京都の太秦映画村まで案内して、

忍者ショーやら衣装レンタルやら縁日やら、食事やらをアレンジする、

という懇親会の企画から当日の運営までを通じて、私が感じたことをつらつらと。

 

2.苦労話から嬉しかったことまで

「準備段階で、雨天の場合屋内に入り切らないことが判明しまして・・・」

「オーガナイザーが色々叶えたい希望をお持ちなのですができないことを説明してご納得いただくために・・・」

とかいう苦労話。

一方で終了したときにお客さまが喜んでいる様子だったこと、オーガナイザーが「ありがとう!」と最後に言ってくれたこと、関わってくれたスタッフや関係者の皆さんが「高野さんおつかれ様でした!」と言ってくれたこと・・・などなど、

最後に「ありがとう」と言ってもらえたことが嬉しかったという話。

 

3.この経験を通じて感じたこと

お客さんやパートナーと一緒に何かをつくりあげていって、最後に喜んでもらう、「ありがとう」と言い合えることにやりがいを感じるな、と思ったわけです。

 

 

ただ、話している自分としては、正直こんな話は、社内・周囲ではよくある話でしたので、自分にとってはアタリマエだったんですね。

 

でもシステムエンジニアのその方は、「めちゃくちゃ羨ましい」と言ってくれて。

その方は、お客さんの顔が見えないから、自分がしたことを相手が本当はどう思っているのか、わからない(からやりがいを感じにくい)と仰っていたんですね。

 

なるほど、自分がやっていることは、環境によっては経験しにくいことなんだな、と、自分の今の、「旅行会社で働く」環境に、とても大きな価値を感じるようになりました。

 

一方で、旅行会社で働く上で、気をつけなければならないことも感じています。

それは、サービスの質を向上しようと思えば、キリがないということです。明確なゴールがないんですね。

そして扱っているサービスの特性上、どうしても薄利多売になっていて、

それはつまり、量をこなす必要があるということ、つまりやることが多いわけです。

となると、よほど要領よくこなしていかなければ、労働時間は長くなります。

労働時間が長くなると、自身のやりたいことがある人、実現したい生き方がある人にとって、「仕事第一」でなければ、なかなか苦しいな、と感じています。

そんな働き方に、今、悩みを抱えている方は、どのくらいいるのだろうか。

 

ポケモンの歌

ポケモンの歌、といえばどの曲を思い浮かべますか?

 

我が家にポケモンがやってきたのは、自分がまだ小学生(たしか4年生か5年生くらい)だった頃。

クリスマスに、弟がポケモンの緑をサンタさんにお願いしていたときだったと記憶しています。

そこから、友達どうしで通信ケーブルで交換したり、対戦したり、バグらせてマスターボール増産したり、ミュウを生み出したり・・・楽しかったなあ。マンションの階段の影で、友達どうし通信対戦したのは本当に良い思い出です笑

 

とまあこんな感じで私自身、ポケモンがこの世に出た初期の頃から楽しませてもらっていたので、まあまあポケモン第1世代なわけです。

そんな私にとって、ポケモンの歌といえば、

ピカチュウカイリュウヤドランピジョンコダックコラッタズバットギャロップサンダースメノクラゲ

っていう、アレです。

このカタカナたち、いまでもスラスラ出てくるのでおどろきです。

子供のときに繰り返し身体や頭を使ったことって、いつまでも残るんですね。

 

時は流れおよそ30年。現在絶賛幼稚園児エンジョイ中の我が子たちが、ポケモンにハマりだしています。

ポケモンの歌ってしってる?」と聞かれまして。すぐにこの歌を歌ってみたんです。そしたら「ハア!?」みたいな顔で否定されまして。

詳しく話を聞いていると、主人公はサトシとピカチュウで、敵はロケット団、みたいな基本は変わらないみたいなんですけど、サトシと一緒にいるのが、タケシやカスミじゃないんです。ゴウくんていう男の子みたいで。ゴウくんと一緒にいるポケモンなんて、聞いたこともない名前で。

まあ、なんというか、同じポケモンでも、ずいぶん変わってきてるんだなあ、と思いました。

 

さて、なんの話やねん、なのでそろそろ言いたいことを書きます。

すごいなと思ったこと。

それは、30年経っても「ポケモン」が子どもたちの心をがっちり掴んでいるコンテンツだということ。すごいですよね。たぶんマイナーチェンジを時代に合わせて繰り返しているから、色褪せないのかな、と。

30年前、アマプラでポケモン見るとかないしね。テレビ大阪やし。1チャンやし。ブラウン管やし。

基本(サトシ、ピカチュウロケット団、、、)は変わらない。普遍的。

その上に、色々な味付けが加わって、様々な形に応用されて子どもたちに届けられているのかな、と。

 

つまり、基本は大切。30年後も色褪せない、自分の基本って何だろう。

「健康、尊敬、感謝。今を大切に。」そして、「正直」

久しぶりに、松浦弥太郎さんの本が読みたくなりました。

https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%82%82%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AD%E3%81%84%E3%81%AB%E3%80%82-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%BE%E6%B5%A6-%E5%BC%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4569677711/ref=sr_1_17?qid=1655900950&s=books&sr=1-17

しかしポケモンから松浦弥太郎さんに行き着くとは。

 

今年の残り日数

2022年6月16日(木)

今年もあと198日です。(中途半端)

200日切っているんですね。

2022年という1年を、1章=100日の4章物語とすると、今はもう3章目の冒頭まで来ているとも言えます。(4章は短編ですね)

 

今年1年でやりたいこと、どこまでできているかなあ、と時々、年初に書いた手帳のやりたいことリストを見返すのですが、できていないことの方が多いんです。できたことが10個くらい。

もちろん、1年が終わる頃に成果が出ることもあるので、まだまだ焦る時間ではない。のですが。時が経つのは本当に早いなあ、と感じています。

 

自分の「やりたい」、「好き」、「楽しい」を心から大切にしようと思うと、忙しなく過ぎ行く日々を過ごす自分に対して、憤懣やるかたない気持ちというか、悲しいというか、虚しいというか、「ああ、俺なにやってんねやろ」と、大学生のときにも感じたような感情を抱いたりして、まあ、なんというか進歩がないわけです。

もちろん、できること、知識、知恵、スキル・・・いろいろと成長はしていると思います。

が、本質的に、もっと自分を縛っているものや価値観を、手放してみたほうがよいのかな、と思ったりしています。

なんのことはない、つまりは198日後には今勤めている会社を卒業しよう、という話なのです。

卒業までにしたいことは2つ。

1.今年度のグループ目標を達成する。

2.自身のノウハウ、人脈を見える形にして社内に残す。

逆説的かもしれませんが、やりたいことに向かって、やりたくないことをやっている感じ。

 

そして、「卒業してどうするの?」は、自分自身がとても気になっているところ。これは198日後にクリアになっている気はしなくて。

 

それでも今の自分自身の姿をこれから先も持続可能だとは思えなくて、ならばまずはブレーキを徐々に踏んでいこうかなあ、と。アクセル踏まないと、向かい風に押されて後ろに押し戻されそうな中で、ブレーキ踏むのは勇気がいるところ。

 

一つ思うのは、現状維持は停滞、いや後退だということだ。

何かを得るには、何かを捨てないと、手に入らない。

トレードオフなんだ。

 

「AT(アット) 見えるカウントダウン」をApp Storeで

映画『グリーンブック』

週末に、1つの映画を観ました。それは、『グリーンブック』。2018年に公開された映画で、アカデミー賞の作品賞なども受賞されているようですね。

 

まず「グリーンブック」とは何?という感じかと思うのですが(私だけ?)、これは、「黒人ドライバーのためのグリーンブック」という、アメリカが人種隔離政策時代の1930年代から1960年代に、自動車で旅行するアフリカ系アメリカ人を対象として発行されていた旅行ガイドブック(Wikipedia参照)だそうです。

 

舞台は1962年のアメリカなのですが、当時のアメリカでは人種隔離が正当化されていたんですね。「白人」と「それ以外の有色人種」を政策的に隔離していたわけです。レストラン、トイレ、宿泊・・・映画の中でも「Colored Only」という表記の看板がモーテルに掲げられているなど、個人的には結構ショッキングでした。

 

で、その隔離度合いがひどかったのがアメリカ南部エリアで、アメリカ深南部とかディープサウスとか呼ばれているようです。この背景には、農業が経済の中心で、安価な労働力が必要だったことから、奴隷制度を維持しようとしていた、ということが挙げられます。奴隷制を支持する南部vs否定する北部、という対立が、南北戦争に発展した一因になったのですね。

 

ストーリーは主に2人の男性を中心に進みます。

ドン”ドクター”シャーリーという、黒人ピアニスト。この人、本当かウソかわかりませんが、作中ではカーネギーホールの上に住んでいました。大阪だとフェスティバルホールの最上階に住んでる感じ?笑 

ドン”ドクター”シャーリーは、トリオのバンドを組んでいて、バンドとしてディープサウスに8週間もの興行に出かけることになりました。危険な南部に、ドライバー兼用心棒として雇われたのが、トニー・リップというイタリア系アメリカ人。本名はトニー・バレロンガだそうです。

 

2人はニューヨーク(アメリカの北部ですよね)のブロンクスから、車で南下しながら各地でコンサートの舞台に立ち続けます。道中、衝突を繰り返しながらも互いの理解を深め、徐々に信頼関係を築き、支え合うようになります。

 

私が一番印象的だったのは、2ヶ月かけて到着した最後の舞台。アラバマ州バーミンガムでのツアーの最終公演の夜。公演の前にバンドメンバーが言ったセリフです。

 

「ドクターは、北部にいればこれ(南部ツアー)より3倍の金が稼げた。でも彼はわざわざ南部を選んだ」

「才能だけでは人の心を動かせない。勇気が人の心を動かすのだ。」

ドン”ドクター”シャーリーは、勇気を持って自ら行動した。差別を受けること、酷い扱いを受けることがわかっていてもなお、強い覚悟を持って理性的に誇り高く行動し続けた。凛とし続けていた。その姿が本当に素晴らしいな、と。

 

実話に基づいた素晴らしいストーリー。

2人が互いを支え合う、距離が近づくシーンも、とても印象的です。最後のシーンも、好きです。

でも、だからこそ、歴史を知らないまま観たのが後悔されます。南北戦争奴隷制、人種隔離政策・・・どれだけ成功をおさめ、華々しい舞台に立ってスポットライトを浴びていたとしても、厳然として存在する人種差別。かなりショッキングでした。

 

2時間の使いみちがわからないという方は、ぜひ。

 

ちなみに、これを書いていてニューヨークのブロンクスには「ブロンクス動物園」という、私が行ってみたい動物園がありました。興味を持ったのには、「沈まぬ太陽」の主人公である恩地元さんが物語の終盤に訪れて・・・というきっかけがあるのですが、今回とは関係がないので、またどこかで触れたいと思います。

映画『偶然と想像』濱口竜介監督を観て

『ドライブ・マイ・カー』第94回アカデミー賞国際長編映画賞受賞おめでとうございます。

 

同作の監督をされた、濱口竜介監督の作品『偶然と想像』を観てきました。

 

タイトルに込められた意味って何なんだろう?とか、よく考えるんですけどわからないんですよね笑

 

今回の作品は3部の短編物語がそれぞれ独立した形で流れていって。

救われない偶然もあれば、偶然に救われることもあるし、

新たな偶然が、新たな道を切り拓いてくれることもある。

そんなことを感じました。

 

濱口竜介さんの作品は、これが2作目なのですが、2作を観て感じたのは、

自分のことは自分が一番わかっている(理解できている)

ではなくて、

自分が一番わかっていない(理解できていない)のが、自分である

ということを、ものすごく考えさせられるんですよね。

 

ドライブ・マイ・カーのときにも感じたけど、ずーっと(20分くらい?)同じシーンで互いがセリフをぶつけ合うシーンがあって。

今回の作品でも、たとえば第2部なら教室の中での朗読のシーン。

 

1人が問いかけて、1人が内省し何かに気付き、っていうやり取りを濃密に繰り返すなかで、自分が目を背けていた自分自身の中に、いやでも向き合わざるを得ない。

そんな2人のシーンは、観ていて本当に目が、耳が、意識が、離せない。そんな感覚になりました。

 

自身の日常に置き換えてみると、自分といやでも向き合わざるを得ないときって、何気なく暮らしている限りなかなか無いと思うんですね。

忙しくて考える余裕がない

とか、

ストレスを発散したくて振り返りなんてしていられない

みたいな感じで、そう、余裕がない。コップに水が一杯入っていて、今にも溢れんばかりな日々を過ごし続けている。

むしろ余裕がないときは、それを覆い隠すように、何かを手に入れて埋め合わせをしたい(服、本、知識、酒、食べ物、、、、)という癖が自分にはあるなと最近気づいて。

 

えげつないほど自分と向き合わざるをえない経験。

すごく宗教的ですね。

 

だからなのかはまったくわかりませんが、この作品も、どこか宗教的というか、哲学的というか、「あなたは自分のこと、本当によくわかってますか?」という問いかけをもらったように感じました。

 

余裕のない日々に疑問を持ち、育休を取得して、すこし仕事と距離を置いて。

復帰してコロナが来て、時間ができて。このくらいの余裕があったほうが自分にはいいなと思って。

いろいろ周りの環境が変わって、なんとなく責任も大きくなってきたような気がしてて、それはそれでやりがいを感じてはいるんだけど、今の延長線上の自分をあまり好ましく思っていなくて。

その中で自分の「好き」とか「やりたい」を大切にしたり、あるいは「きらい」「やりたくない」「いやだ」みたいな感情も受け止めてあげたり。

そういった「自分」たちにアンテナを高く張っておく。そこから始めるのも、自分をよく理解するためには良いのかな、と思いました。

 

劇場で映画を観るのって、すごく贅沢。

大きなスクリーンと、音量の大きなスピーカー、暗い空間。

この体験を、その場にいた人たちとだけ共有する、って何かいい感じ。

桜も見に行きたいけど、本も読みたいけど。

 

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~←水野晴郎

意見と反応の違いって、このことなんですね。

先日読んだ本を踏まえて、 今日出席した会議で印象的だったことを書きます。

 

まず読んだ本というのは、ちきりんさんの『 自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」 に答えを出せる4つのステップ』という本です。

 

https://www.amazon.co.jp/自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ-ちきりん/dp/4478115222

 

 

この中に、「意見」と「反応」の違いについて書かれていて、「 なるほど確かに自分も意見言ってるつもりで実はただの反応だった んだな〜」と反省してみたり、「いかにも」 格好のいい発言っぽいけど中身がないきもするな〜 なんて思っていた先輩の発言も、実は反応でしかなかったり、 という気づきと反省があって、それから自分の「意見」 を言うことを意識して取り組んできたつもり、です。( 違いの具体的な説明については、 ぜひ本を手にとってみてください!)


で、同じ役職同士の会議でモデレーターを務める機会がありまして、 本日その会議に出席しました。

会議の前にまずはテーマから考えたのですが、なるべく「賛成」「 反対」と言い切れるような問いにしたいなーと思ったんですね。 そうすることで、 意見なのか反応なのかがわかりやすいと思ったのと、 発言もしやすくなるかなと思ったので。


そこで、次のようなテーマで議論することを発信しました。

 

「我々グループリーダー層から、 ワーケーションに取り組んでみようと思いますが、 皆さんはどう考えますか?」


というもの。


そして会議の前に準備したのが、次の手順。(本書の、 256ページ以降の練習問題を参考にしました)


1.レベルチェック: 正解のない問題について自分の意見を言ってみる。
ワーケーションしたほうが絶対にいい!とか、全く無駄だ!とか、 そんなの人によってちがいますよね。 つまり正解のない問題だと思うんです。この問題に対して、 自分なりに意見を考えてみました。


2.言い切る!:よくわからなくても、 とりあえず反対か賛成かのみ答える。


この2つのステップで考えたのは、私は「賛成」だということ。
なぜなら、 働く場所を選べるという自由を手に入れるチャンスをみすみす逃し たくはないから。やってみて、結果的に自分に合わなくて、 オフィスで働くのがいちばん!となったとしても、 それならそれで、今までよりも主体的にオフィスで働く、 という選択肢を選んでいると思うから。 そういう自分の選択の自由を増やしていくことが、 幸せみたいなものに繋がっている気がするんですよね。 誰かに強制されているわけではない感覚が、自分にとって大事。 こんな感じです。


また、そもそもの会社のルールや、この仕組の成り立ち、背景、 他の企業の取り組み事例、よく挙げられるメリット・ デメリットをネットや社内イントラで調べておくようにしました。


そしてその次のステップ。
3.自分に突っ込む。:自分に反論し、さらにそれに反論する。
10個くらい、想定できそうなツッコミを考えてみました。
たとえば、「ただ単に遊びに行っているだけ、 本当に働いているかわからないのでは?」「 どこで働いてもおんなじでしょ?」「移動時間が無駄じゃないの? 」などなど。
こういった反論に対しての反論も考えました。
「ただ単に遊びに行っているだけ、 本当に働いているかわからないのでは?」
→「見えない」という点では、在宅勤務や部外勤務と同じ条件。 在宅勤務時と同様に報告書を作成するとか、 セールスレポートで報告を行う、とか、 運用面でカバーできるのでは?


「どこで働いてもおんなじでしょ?」
→オフィスでもどこでも成果が出せる人は、 わざわざする必要はないと思います。でも、 試してみることで気づきもあるのではないか?


みたいなかんじで、あくまで自分の考えの中ですけど、 書き出してみました。


4.言語化する:意見を簡潔な文章にしてみる。

で、自分の意見を整理して、会議の冒頭で述べました。
「私はこの取組を進めることに賛成です。なぜなら、 これからの時代、 生産性を上げることはますます大切になってくるからです。 労働時間を減らし、収益を最大化する。 そのためにはマーケットを見極める力や、 業務のムダやムラを改善していく努力が必要です。 それは同じ場所で受動的に働くだけではできることではありません 。今の当たり前を1度疑ってみる。 そういった機会にトライしてみることで、 得られる事があるのではないかと思います。 そして我々が率先して取り組むことで、 周囲への波及効果も期待できます。 我々がこの組織を牽引していく上で、 このような取り組みは組織風土をより良いものにしていくためには 必要だと考えます」


ここまで話をした上で、案の定ありました、「反応」が・・・。 たとえば、
「まずはこれを取り組む目的に対して、 目線をあわせる必要があるんじゃないですか?」

みたいな、質問形式で飛んでくる意見風の反応。
でも、この本を読んだことで、「あ、この人はそれっぽいこと、 いかにもイケてるようなこと言っているけど、 自分のポジションをはっきり出してないな」と思ったんですね。
なので、「●●さんは、純粋にこの取組に賛成ですか? 反対ですか?条件付きで賛成ですか?」と聞くと、「 強制でなければ賛成」ということ。
つまり、おそらくですが、「 自分自身はあまりやってみたいとは思わないけど、 この取組をよしとする人にもいい顔しておきたいから、 質問形式で反応」してきたんだろうな、と。


これまでは、こういう「この取り組みの意味は・・・?」とか、「 成果を出せないならやる意味ないのでは・・・?」みたいな、「 いかにもわかっている」風な、意見っぽい反応に、 まやかされていたんだな、と気づくことができました。 それが大きな成果だったと思います。そりゃ、 責任とりたくないですもんね。
そのくらい、炎上(失敗) するのを恐れてものが言えなくなっている風土なんだな、 とも思いましたし、 反応したり誰かに便乗してクレームを言ったり、という態度は、 本当に恥ずべき情けない行動なんだ、と自戒の念を込めて、 感じました。


勇気を持って意見を言うこと、 リスクをとって自分から行動してみることの大切さを、 身をもって感じることができる本です。
そうして、自分が率先して取り組むことで、賛同してくれる人、 応援してくれる人の存在にも気づける、 という新たな一面があることもわかりました。


「自分の頭で考える」 ことの大切さは理解しているつもりでしたが、 そのために何をなすべきか?まで、 自分はこれまで思いが至っていませんでした。
でも、結局すべきことはシンプルで、「自分の頭で考え」 続けること、そうして生まれた意見を言うことが、 価値あることなんだと思います。

意見を述べることで、自分に賛同してくれる仲間の存在に気づける、あるいは反対意見をぶつけてきて新たな気づきを得られる。意見を言うことの価値を実感できた本日の会議でした。

 

 

山崎豊子『沈まぬ太陽』がすごすぎる

この年末年始であっという間に読んでしまいました!
文庫にして5巻。3部構成になっており、
1〜2巻:アフリカ編
3巻:御巣鷹山
4〜5巻:会長室編
という流れです。


半沢直樹シリーズのように「勧善懲悪!悪は許さん!」という話ではなく、 むしろ悪に立ち向かっても跳ね返され、社会はそんなキレイなもんじゃないと感じさせられ、 読んでいて辛い場面がいくつも出てきます。
最後も決して、主人公が救われる(報われる) というわかりやすいハッピーエンドではないです。
が、それでも読み始めたら止まらない山崎豊子さん。
読了後はちょっとの間、放心状態でした。


このお話は、日本航空123便、 ジャンボジェット機の墜落事故で520名以上の方が亡くなられた 事故を描かれたお話です。
映画化、ドラマ化もされていて、たくさんの方が、 どんなお話かきっとご存知かと思いますが、 ざっくりこんな感じで紹介させていただきます。

 


先輩からどうしてもと頼まれ断れ切れず、 国民航空労働組合の委員長の任務を1年限りで引き受けた主人公、 恩地元。

正義感が強い恩地は、職場によって待遇差に格差があることを、 組合の代表として許せず、強い意志を持って団体交渉に臨む。
しかし会社側の煮え切らない態度に、恩地はついに、 なんと首相フライトを控えた当日、ストライキを決行する。 組合と会社の度重なる交渉の末、 首相フライトは無事に飛行することとなったが、 この1件が決定打となり、会社(および政府、当時はまだ民営化前だったのですね)から「アカ」 というレッテルを貼られ危険人物認定された恩地。
組合の委員長を2年間全うし職場に復帰して、わずか半年で、 カラチ(パキスタン)という僻地に転勤するよう命じられる。


2年で帰還という社内規定を必ず守る、という社長の言葉を信じ、 カラチで働くが、間もなく日本へ帰還となったときに、 今度はテヘラン(イラン)への転勤を命じられ、 その後もナイロビ(ケニア)への転勤など、 合計10年にもわたり、海外の僻地をたらい回しにされる主人公。


という感じで、アフリカでの生活を中心に、 ナイロビに至るまでの経緯を回想する形で描かれるのが第1〜 2巻のアフリカ編。
冒頭にお話した墜落事故は、 第3巻の御巣鷹山編で詳しく書かれることとなります。


会社からの執拗な嫌がらせ。当時の共産主義に対する嫌悪感。 自分自身が信じる正義が通用しない世界。

インターネットもスマホもなく、 国と国の間を移動するのもハードルが高かったであろう時代に、 家族と引き離されて、 遠いアフリカの大地で一人で生きるというのは、 身体的にも精神的にも、並大抵のことではなかったはず。
不当な差別人事には、読んでいて心が痛かった。 特に家族が切り離される場面は、読んでいてつらくてつらくて。
その中で独りで、 信念を曲げずに貫き通した恩地さんの姿には心打たれ、 読んでいてどんどん引き込まれるストーリーでした。

当時のアフリカの様子は詳しくはわかりませんが、 雄大な自然もあれば、栄えている都市もあったようです。 その一方で、貧富の差は激しく、差別意識も依然残り、 階級社会制度も残っていたよう。 かつての奴隷の歴史に触れられる場面があるのですが、 人身売買があったというのは、人類の暗黒の歴史ですね。


ただ、「ポーレポーレ」=ゆっくりゆっくり、 という人々の雰囲気、アフリカでの動物たちの姿や、 広大な自然の風景を想像すると、どんなところなんだろうか、 実際に行ってみたい。
私はこれを読んで、3年後、近い将来、親父と息子を連れて、 ケニアタンザニアに行って感じてみたいという思いが、 すごく強くなりました。

 

https://www.amazon.co.jp/沈まぬ太陽%E3%80%881〉アフリカ篇-上-新潮文庫-山崎-豊子/dp/4101104263