あいさつ上手な人でありたい

や、もうタイトルのまんまなんです(笑)

 

目を見て、挨拶。「おはようございます。」

はっきりと、丁寧に挨拶。「こんにちは。」

自然な笑顔で、挨拶。「ありがとうございます。」

そんなことが、当たりまえにできるような人でありたい。

 

この週末、ふとしたきっかけで尾道に行ってきました。ひとり旅。

あてもなく、ふらふら歩いて入ったお店、ホテル、美術館。すれ違った女性。

みなさん、挨拶してくれて。

歓迎されているのが伝わってきて、長くいたくなりました。すごく、歓迎されていることを感じられたんですね。それだけで、楽しくならないわけがないですよね。

 

あいさつをすること、すごく価値のあることだと気づきました。

 

自分のやりたいサッカーをするのがいちばん

私の悪癖なのですが、ついつい、YouTubeを目的もなくだらだら観てしまいがちです。

先日もそんなことをしていると、中田英寿(ヒデ)さんのチャンネルに出会いました。

1998年フランスワールドカップ後、イタリアに移籍し、そこからのキャリアを、各チームを訪れて振り返る、という番組でした。

 

中田英寿「20年目の旅」#1 | ペルージャ | Hidetoshi Nakata “20 years after” #1 | Perugia | - YouTube

 

ヒデさんが最初に移籍したのは、ペルージャという田舎のチーム。日本からの海外移籍は当時は珍しく、周囲からは「商業目的」のように見られることもあり、パスが回ってこない状況が最初はあったようです。そのような中、自分が点をとって結果を残すことで、試合に出続けられ、結果を出し続け、徐々に自分のチームにしていった、というエピソードを語っておられました。そしてペルージャというチームへの愛、思い入れ、感謝の気持ちも持っておられました。

 

その後、2年目のシーズン途中でローマに移籍をすることになるのですが、1月末に市場が閉まる直前まで、本当にギリギリまで移籍するかどうか悩んだそうです。

当時のオーナー、ガウチ会長が移籍金を釣り上げてペルージャから移籍しづらくなることになるかもしれない、という危機感。

シーズン途中で、負けが込んでいる時期に、中心である自分が出てしまって良いのか、という責任感。「裏切りでしかない」と思いながら、「辛い」移籍を決断しました。

 

当時のローマというチームには、絶対的エース、ローマの王子様ことフランチェスコ・トッティ選手がいました。彼がいる中で、同じポジションである自身が出場できる可能性があるのか、これも悩んだそうです。

 

活躍できるかわからない。それでも自分よりレベルが高い環境でチャレンジすることを選んだヒデさん。

 

ローマの次に移籍したパルマの地で語っていたこと。それは、

「自分にとって大事なのは、ビッグクラブに入ることでもない。優勝することでもない。自分のやりたいサッカーをすることなんだ。」

そのために、自分らしいプレー、自分がやりたいプレーをするために、環境を選んだのだそうです。

 

自分が出ていってしまって良いのか?裏切りではないか、という中心選手としての責任感。

自分のやりたいことは何か。原点に立ち返って決断を下したその思い。

今の自分とはまったく別次元の環境ですが、それでもこの2つ、見ていてとても心動かされる内容でした。

 

 

叱ってくれる人がいますか

30代も半ば、いい大人になったいま、叱られることってなかなか少なくなってきているなあ、と感じています。

 

たとえば仕事において。

10年近くキャリアを積むと、自分でできることは増えていて、守備範囲もかなり広がってきていると感じています。すこし乱暴に聞こえるかもしれませんが、そんな私に対して、頭ごなしに叱ってくる人はめったにいないし、何か意見があっても建設的な議論に終始します。

もちろんわからないこと、知らないことはあるのですが、教えてくれる人はいても、叱る人はいない。

一方で、後輩や新しく入ってきた方たちに対して、周りに対するリスペクトが欠ける行為があった場合、それが繰り返される場合、時として叱る側に立たなければならないことが増えてきました。

 

またたとえば家庭において。

妻にせよ、子供にせよ、彼女たちに注意されることはあっても、叱られることはないなあ。たとえば脱ぎっぱなしの靴下を、「洗濯機に入れておいてね」と注意されることはあっても、「どうして洗濯機に入れないの!」と叱る(怒る)ことはない。まあ、性格的なことはあるかもですが。。。

一方で、子どもが危ない行為をしていたとき。たとえば歯ブラシをくわえたまま走り回る、とか。何度注意しても同じことを繰り返すときは、叱ります。家でも、叱る側に立っていることが多いのです。

 

つまり、自分で「これはよくないな」「相手にとって失礼かな?」と思う感度は、これまで以上に強く持っておく必要があると感じています。自分を律する必要がある。他人任せにできない。それは、礼儀作法でもあり、コミュニケーションにおいて大切なことではないでしょうか。

 

恥ずかしながら、先日祖母のもとへ行く機会があったのですが、日々の仕事で忙殺されていて、手土産を準備する余裕がなく、手ぶらで行ったんですね。すると今朝、母から久しぶりに叱られまして。本当に恥ずかしいのですが、「それ(てぶら)はないやろ」と。その時に言ってよとも思ったのですが、母なりに気を遣ってくれたのだろうなとも思いつつ。自分自身もどこか後ろめたい気持ちがあったので、言ってくれて改めて「失礼だったな」と気づき、素直に受け止めることができました。

 

振り返ると、ずいぶん久しぶりに叱られたなあ、なんて思って。

叱られることは、気付きを得られるチャンスでもあるなと、母から久しぶりに叱られて気が付きました。良い気づきをありがとう、おかあさん。

家族と一緒に海外へ

行くとしたら、妻目線の楽しみって何なんだろう?

今度聞いてみようと思った話。

 

というのも、完全に妄想なのですが、家族と一緒に海外に移住したらどうだろうか?なんていうことを考えていて。

 

家族それぞれの目線で、楽しみなことと心配なこと、を想像してました。

 

<こども目線>

●楽しみ

1)英語の環境で過ごす。教育を受ける。

2)違う文化、多様性を肌で感じられる。

3)海外の友達ができる(かもしれない)

4)世界へのハードルが下がる。

●心配

1)なじめるのか?

2)他とちがうということが本人にとって良いと思えるか?

 

<自身>

●楽しみ

1)やったことないことにチャレンジできる。

2)語学力、経験値が上げるチャンス。

3)人脈、マーケットなど世界を広げるチャンス。

●心配

1)何で生計を立てるのか?

2)何の仕事をするのか?

3)なじめるのか?(気候、におい、文化、食事・・・)

 

子供目線も実質、自分目線では・・・?と思ったり。

これだけだと、全然、解像度が低いなと思うので、もっと解像度高くしたいと思うのですが、そう、妻のことなのです。

妻目線の「楽しみ」って?何?

 

個人的には、自分が養うからついてこい!とも思ってないし、そこはもちろんイーブンに、お互いのやりたい仕事をしていきたいと思うのですが。

 

こんな想像力低めな妄想で、果たして海外に出ていけるのかしら。。

 

Coda コーダ あいのうた

7月も間もなく終わる本日は、7月31日(日)。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

今年のアカデミーで作品賞を受賞した、「Coda コーダ あいのうた」を観ました。

 

Coda :Children of Deaf Adults 耳の聞こえない両親に育てられた子供、という意味になります。

 

耳の聞こえない父、母、兄と暮らす高校生の女の子、ルビー。

家族の中で唯一耳の聴こえる彼女は、ろう者の家族の「通訳」としての役割を担っていました。父・兄の漁師の仕事も毎朝3時に起きて手伝うルビー。

ある日学校で合唱部に入り、そこで顧問の先生に才能を見出されます。ルビー自身も「歌が好き」だと気づきます。顧問の先生 Mr. V の奨めもあり、音楽大学への進学を志すように。

ですが家族のもとを離れるということは、「通訳」としての役割を捨てるということ。家族たちからの希望(反対)もあり、葛藤、悩み、進学を諦めることに決めました。

 

秋の合唱コンサートが開かれた夜。家族みんなでコンサートから帰ってきた後、父と2人、ルビーは耳の聴こえない父のために歌を歌います。そこで父は、「ルビーに音楽大学を受験させよう」と決め、受験会場まで送り出します。

 

受験会場で歌うルビーは、こっそり聴きに来た家族がわかるように、手話をのせて歌を届けます。

 

という話。

 

秋の合唱コンサートで、耳が聞こえない家族たちがルビーの歌を聴くシーンの演出。ぐっと見入りました。耳が聞こえない世界とは、かくたるものか。

そしてこの話では、家族の愛が深い。とても深い。

兄は、妹が家族の犠牲になってほしくないという思いから、妹に家を出ていくことを強く後押し。母は、ルビーに近くにいてほしい気持ちがあるのに、最後は送り出してあげる。そして何より父の愛が深い。受験前夜にルビーに歌ってくれと頼み、耳じゃなく、手で、心で、聴こうとする父。そして娘のやりたいことを応援しようと行動するその姿。

何気に、顧問の先生Mr. Vもいい味出してるんですよね。受験会場で伴奏を買って出たり、良い所で弾き間違えたり。最後、合格の喜びをルビーと共有するシーンは、観てて師匠の愛を感じたなあ。

 

というわけで、心あたたまる、愛をたくさん感じられる映画でした。

 

 

日本人は「やめる練習」がたりてない

いままさに、「やめる」ことをしようとしている自分にとって、とても深く心に残った本でした。

 

日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書) | 野本 響子 |本 | 通販 | Amazon

 

自分自身を振り返って、自発的にやめることを経験したのってあまりない。ぱっと思いつくのでも、

・高1の秋に部活をやめたこと(別の部活に移った)

パン工場のバイトをやめたこと(工場長がきつくて逃げ出した)

くらい。

 

乱暴な言い方をすれば、結局は「納得感」があるかどうか、だと思うんですよね、最後に決断できるかどうかは。

自分で選んで決めたことには納得感も持てるだろうし、決めたことに対して挑戦する、やってみる、それに対する結果を引き受けることもできると思う。

著者の野本さんも仰っていますが、大切なことは、「その選択が間違っていたときに、誰かのせいにせずに、自分で軌道修正し、選択し直すこと」だと思うんですよね。

 

特に、野本さんの住んでいるマレーシアは、多文化社会。信仰や人種、バックグラウンドによって「正義」や「正しさ」は人それぞれ。正解のない世界を生きているわけですね。

まさに今が、正解のない時代だと思います。

そんな世界を生き抜くためには、「自分で決めて、選んで、試して、結果を引き受ける」ことを繰り返していかずして、乗り切れるとは思えない。「周りが決めたことを、言われたとおりにやって、結果(特に悪い方の)は自分以外の誰かが引き受ける(責任を取る)」なんていう、都合の良い話はないと思うわけで。

 

それは大人になった今の自分にも当てはまる。これまで培ってきたものに価値がなくなった、とは全く思わないし、自分にとってとても大切なもの。だけど、それだけで生きていくには、あまりにこの世界は広すぎる。

 

たとえば、これまでの自分は、仕事を通じて、怒られないように入念に準備をして、完璧に近い(できる限りのことをやって)価値を提供してきたと思います。だけど、それとトレードオフで失ったものもあるわけで。たとえば家族との時間。あるいは自身の時間。そんな働き方、生き方が自分の幸福感に合っているか?

 

完璧じゃなくても、いろいろなことに自分が寛容でいられれば、もっと楽に生きていけるのでないか。そんなふうに思いました。

 

「自分で決めて、自分で責任をとる」ことは、自分の子供ともぜひ共有したい価値観です。

 

とても素晴らしい本で、2週間で4回読んだくらい、今の自分には響きました。

働き方の選択肢、生き方の選択肢

先日ワーケーションで沖縄に行ってきました。

幸いなことに天気にも恵まれて、4日間晴れの中、仕事と休みを満喫してきました。


日中は集中して仕事に取り組むことができたと思いますし、そこからすぐにオフの時間を楽しめるのも、ワーケーションのいいところだな、と思います。


中でも1番よかったことは、「余白」時間を過ごせたということ。

「何もしない」時間、つまり仕事もしなければ、何かしたいことをするわけでもない、単にぼーっとするだけの時間。その中で手持ち無沙汰な感じ、退屈感のようなものを思い出すことができました。


これまで仕事に追われ、「しなければならないこと」で埋め尽くされ、貴重な余白時間も、「したいこと」で埋めてきたんだな、と気づくことができました。あえて「スキマ」を作ることで、リセットできることがあるんだと気づき、日常の中に意識的に取り入れていきたいと感じました。まるで「モモ」の世界のようだ。


働き方の選択肢が多いということは、生き方や暮らし方の選択肢が多いと言うことでもあると思います。


どこで働くのか

だれと働くのか

何を生業とするのか

いつ働くのか


働くことは生きていく上で今の私にとって大切なことの一つですが、働き方の選択肢をひとつひとつ試してみて、「これもアリだな」と気づいたことを、これからも大切にしていきたいなと思いました。そして試してみることの価値は大きいと言うことも、忘れず胸に刻もう。


おしまい。