日本人は「やめる練習」がたりてない

いままさに、「やめる」ことをしようとしている自分にとって、とても深く心に残った本でした。

 

日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書) | 野本 響子 |本 | 通販 | Amazon

 

自分自身を振り返って、自発的にやめることを経験したのってあまりない。ぱっと思いつくのでも、

・高1の秋に部活をやめたこと(別の部活に移った)

パン工場のバイトをやめたこと(工場長がきつくて逃げ出した)

くらい。

 

乱暴な言い方をすれば、結局は「納得感」があるかどうか、だと思うんですよね、最後に決断できるかどうかは。

自分で選んで決めたことには納得感も持てるだろうし、決めたことに対して挑戦する、やってみる、それに対する結果を引き受けることもできると思う。

著者の野本さんも仰っていますが、大切なことは、「その選択が間違っていたときに、誰かのせいにせずに、自分で軌道修正し、選択し直すこと」だと思うんですよね。

 

特に、野本さんの住んでいるマレーシアは、多文化社会。信仰や人種、バックグラウンドによって「正義」や「正しさ」は人それぞれ。正解のない世界を生きているわけですね。

まさに今が、正解のない時代だと思います。

そんな世界を生き抜くためには、「自分で決めて、選んで、試して、結果を引き受ける」ことを繰り返していかずして、乗り切れるとは思えない。「周りが決めたことを、言われたとおりにやって、結果(特に悪い方の)は自分以外の誰かが引き受ける(責任を取る)」なんていう、都合の良い話はないと思うわけで。

 

それは大人になった今の自分にも当てはまる。これまで培ってきたものに価値がなくなった、とは全く思わないし、自分にとってとても大切なもの。だけど、それだけで生きていくには、あまりにこの世界は広すぎる。

 

たとえば、これまでの自分は、仕事を通じて、怒られないように入念に準備をして、完璧に近い(できる限りのことをやって)価値を提供してきたと思います。だけど、それとトレードオフで失ったものもあるわけで。たとえば家族との時間。あるいは自身の時間。そんな働き方、生き方が自分の幸福感に合っているか?

 

完璧じゃなくても、いろいろなことに自分が寛容でいられれば、もっと楽に生きていけるのでないか。そんなふうに思いました。

 

「自分で決めて、自分で責任をとる」ことは、自分の子供ともぜひ共有したい価値観です。

 

とても素晴らしい本で、2週間で4回読んだくらい、今の自分には響きました。